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現代思想 2017年3月臨時増刊号 総特集◎知のトップランナー50人の美しいセオリー』を手に取り、パラパラと中を見て、買うのをやめる。

 

ちゃんと読んだわけじゃないけど、5人に1人くらい「美しいセオリーなんてない」とか「美しいセオリーってなんだ」とかって言ってて笑う。そらそうだ。そんなある種の予定調和の中、堂々と「美しいセオリーなんてない」をタイトルにしちゃってるM木K一郎って人は、ほんとに薄っぺらい逆張りしかできないんだなというか、むしろ編集者はそこを期待してオファーしたんだろなとか、アカデミズム業界の仄暗い面がいろいろと垣間見えて面白いことは面白いかもしれない。

やべえ、『ユリイカ』の「東村アキコ特集」欲しい。

バイヤール『読んでない本について堂々と語る方法』はかなり話題になってるし、千葉雅也氏は勉強論の本を出すみたいだし、最近はまた読書術関係のブームが来ているのだろうか。

ブログをツイッターライクに書きつける。楽しい。完全に矛盾だが、つながることを強制するネットワークはクソだ。

『人類学の時代』を読み続ける。ピーダーセン論文が言ってるのは絶対的な外部というよりも、むしろインゴルド論文に出てくる「自身のうちに閉じて世界に背を向け」たモノなのではなかろうか。

次、マリソル・デ・ラ・カデナ「アンデス先住民のコスモポリティクス」田口陽子訳

一文目の引用から「インティ・ヤヤ」、「インディ・ヤヤ」と表記が安定してないぞ。

 

だが、それ以外の翻訳は素晴らしかった!

昨日の『現代思想 人類学の時代』を読み始める。

一つ目のデスコラ論文「自然の構築」(難波美芸訳)は、元の議論が図式的なこともあって読みやすい。ただ、「トーテム種は社会の分節の単なるシニフィエである以上……」(P39)は文脈からも明らかに「シニフィアン」だと思われる。原典を漁ってみると、やはりしっかりと"signifiers"と書かれている。確かに紛らわしくはあるのだが。